消える心4







『…なァ宿主』
「なに?」
『………あのよぉ』
「うん…?」




あれは眩い陽光の差し込む日だった気がする。
太陽の光を存分に染み込ませた洗濯物を畳んでいる宿主を見ていると、少しだけ、ほんの少しだけだが頼らせてもらいたくなった。
薄い意識体で背に凭れかかると、宿主は首を傾げて畳む手を止めた。
凭れかかったっつっても宿主は重さなんて感じちゃいねェだろうけど。
こういう時、オレ様にも肉体があればって思っちまう。なんだか変な話だが。



『オレ様、アイツに愛されてんだよなぁ…』

「……どうしたの、らしくないね」

『…だってよ…オレ様、いつだって愛情表現してんだぜ?まだまだやり足りねェぐらいだがな』

「…うん」

『それなのにマリクの奴ときたら、「好き」の一言すら言ってくれねぇのよ』

「……うん」



宿主や片割れに照れくさそうに言ってるのは、数は少ないが何度か聞いたことがあった。
食い物や衣服、好感を抱くものにも普通に使っていたし言葉自体を嫌悪してるってワケでもなさそうだった。
だがオレだけは、出会って生活を共にするようになってから今日まであの口から一度も、好き、と言われたことが、ない。

一時期らしくもなく無理にでも言わせようとしたことがあったが、全て失敗に終わった。
酒飲ませた時や、ヤってる時なんかはあのアイラインに縁どられた菖蒲の目もとろけて無防備で、
オレの言うことならどんな恥辱にまみれた事だって大人しく従ってヨさそうに乱れていたが、それでもかたくなに言おうとはしなかった。



「なんで自分にだけマリ君が言わないかって考えたコト、ある?」

『あ?』


急に話しかけられて、一瞬何を言われたのか分からなかった。
返事に詰まっていると再度宿主に質問される。

『……やっぱオレのことが嫌いだからか?』


言いながら、実際そうではないと思う。
どう考えても嫌われてるようには思えねえし(もしそうならセックスなんてやらねェだろ)、他に今の宿主の問いに答えられそうなモンが無かったからそう言った。


「ばか」
『な』
「お前ってやっぱり骨の髄まで馬鹿なんだね。あきれた」

罵られて大人しくしてられるワケがねぇ。
振り返って、宿主に文句の一つでも言ってやろうと思ったら「見るな」だと。
……なんで手に持ったTシャツに顔、うずめてんだよ、オイ



「……安心しなよ…マリ君は、お前のこと……ちゃんと好き、だから」

『は、宿主には言ってたのか?、の野郎ッ』

「違う、違うよ、僕に言ったことがあるんじゃなくてさ。見てれば分かるじゃんか、あんなっ…」

最後の部分が聞き取れなくて、もう一回言わせようとしたんだが。それはオレには無理だった。
洗濯物に顔をうずめた宿主から、その…鼻をすする音が聞こえてよ。
触れようにも触れられねぇし、やっぱりオレは自分の体が無ェことを悔やんだ。
誰よりも長く誰よりも、どれだけ近くにいてもオレ様が唯一触れることの出来ねぇ存在。
それがオレ様の宿主と決めた獏良了。



『宿主…』
「…はあ…ごめ、」
『いや別にいいんだけど、よ』
「ん…だから、ね?お前へのマリ君の「好き」は特別だと思うんだ」

宿主の口から出たのはさっきの続きじゃなかった。
気にならなかったワケじゃねえが、問いただしてまた宿主の震える声を耳にするのは流石に気が引けた。
なんつうか…苦しくて。

『特別…ねぇ』
「お前が調子のっちゃいそうだからあんまり言いたくないんだけどね」
『フン』

しかしそれだと余計言ってくれてもイイもんだと思うんだが。
嬉しいっちゃ嬉しいんだがマリクからそれを聞きてぇし、やはり納得出来なくて腕を組んでいると
「闇マリ君」

……ワケ分かんねぇ。なんでそこでアイツの名前が出て来るんだよオイ。
宿主が電波だっつうことは重々承知してたつもりなんだがこれは、なァ…。


「あのね、今から言うことは全部僕の頭の中で作った話。だから黙って聞いててよ」
『あ、あぁ』




「今からおよそ六年前。彼はマリ君が自己破壊しないように無意識で作った人格で、そして彼はマリ君を守るべくして生まれた一人の人間でした」

「そんな彼はマリ君の憎悪、哀しみ、怒り、苦痛を糧に生きています。必要とされているから生きています。マリ君の負の心の中でしか生きていけません」

「でもそこにもし」



これは宿主が勝手に喋っている話であって事実では無い筈だ。


「もし…マリ君に光が差し込んだらどうなるでしょう。マリ君が闇を必要としなくなるほど大切な存在ができたら彼は一体どうなるでしょう」

「僕達と過ごすようになって暫くして、彼がどういったわけか一時期出てこなくなった時、マリ君は不安に押し潰されそうで夜も十分に眠れなかった。
…そこでマリ君は初めて思ったんです。『彼(闇)に消えて欲しくない』と」

「それからでした。マリ君がバクラという一人の人間に本当の気持ちを抱くことを恐るようになったのは───」



これは宿主が勝手に喋ってる話であって、決して事実では無い筈、なんだ。
だがオレは、聞いている間もしかすると瞬きすらしていなかったのかもしれない。
それ程真実味を帯びすぎた「話」だった。だってそうだろう、こんな。


『オレ様は…』
「この先お前がどうしていくかは自由だけどね。でもね、マリ君がお前に気持ちを伝える時…それは」



──────マリク・イシュタールの心が崩壊した時──────




「……なんて。ちょっとシリアスに言ってみたりして」

眉を下げて笑う宿主。
オレはどうとも言えずただ唇を噛み俯いていた。
今まで自己満足の為に無理にでも言わせようとした言葉は、奴を抹消しマリクを壊さんとせん起爆装置だったっつーコトなのか?
確かに奴ら二人は特殊な生ではあった。稀にいる二重人格っていう。
親とか兄弟とか、友情なんつう繋がりよりも深いトコロで結ばれてるんじゃねえだろうか。
そんなヤツらを、オレは。


「ッ…もお!そんな恐い顔しないでよ!僕ってば今まで散々TRPGのシナリオとか書いたりしてたしさ…本当っぽかったかもしれないけどっ、ちょっとお前に意地悪したくなったってのもあるし」
『…宿主……』
「ほら、後ろ向いてよ、お前のそんな顔、見たくない、から」

アンタの顔の方が余程見てらんねェよ。なんでこんな精巧な作り話してオレより辛そうなツラしてんだよ…。
重い空気にさっさと宿主の中に帰ってしまいたいのが本音だったがそれでも言う通り黙って後ろを向いて座ってやる。
一体どうすりゃいいのか…頭を捻っていると、意識体では感じる筈のない、人の体温を仄かに背に感じた。
すらすらと背の上を走るのは…指。

スッスッススッ
『…ば』
ス、スルッスススッ
『…か…。るせぇよ、』
「だって馬鹿なんだもん」
『……ったくよ、ご丁寧に句点まで付けてくれて』
「ッ……ほんと…、…バカっ…」

震えながらまた静かに泣き出した宿主に、再びオレは黙るしかなかった。
それからマリクが帰ってきて、その日の出来事は胸に留めておき、いつもの日常に戻ったんだ。







句点なんかじゃなかった。
とぼけるしかなかった。
最後に背中に受けたキスにどんな意味があったのかなど。
聞かなくて、良かったんだと、一晩かけて自分を納得させた。

やはりあの日のオレは、らしくなかった。