禁断3




初めて目にした時、バクラは暫く口が塞がらなかった。

艶のある健康的な褐色の肌に、彫りの深い端整な顔立ち。
淡い紫の瞳は、名前が思い出せないがどこかで見た宝石の色によく似ていた。
その紫を囲う黒いラインは大きな目をより一層際立たせ色気さえ感じた。
新しい教師として赴任してきたその人物はテレビで見るモデルよりよほど綺麗に思えた。
淡いピンクのスーツからスラリと伸びた長い手足に、日本人女性ではあまり見られない自分と同じくらいの高身長。

抱いてみたい、と素直に思った。


「今日からこの学年の数学を担当します、マリク・イシュタールです。皆さん宜しくお願いします」






担任に連れられマリクが出て行ってから、教室内は大騒ぎになった。
「うぉおおおおおおおおお!!!!!」
「キタキタキタキタキタ━(゚∀゚)━━(゚∀゚)━!!!!」
「なんだあれ!凄ェ美人ヽ(゚Д゚)丿凄ぇやべぇ!日本語ペラペラ!」
「マリク先生最高ォオオおおおおおおおお!!むさ苦しい男子校に咲く一輪の花!!」
「いやウチの学校購買のおばちゃんもいるから!!」


青春真っ盛りの男子だけの教室は、熱気と絶叫で渦巻く。狂喜乱舞で窓を開け下のプールへ飛び降りようとする生徒までいた。

「あああ生きてて良かった!ちょっとキツそうなカンジもたまらん!お前も喜べよ〜!」

爽やかなリア充クラスメイトから話を振られ、バクラはフン、と鼻を鳴らす。

「そりゃバクラはここら辺の可愛い子には大抵手ぇ出してるしなぁ…綺麗なお姉さんともヤってるんだろ?」
「…うるせェ。全部が全部オレから手を出してるワケじゃねえよ。つーかなんで知ってんだよ」
「くそっこれだからイケメンは…!!」
「やめとけやめとけ。お前バクラとやりあってもボコられるだけだぞ」
「くぅ…イケメンになりたい!」


わいわい騒ぐクラスメイトに、うるせェな、思うもののバクラは馬鹿にすることは出来なかった。




物心ついた頃から自分は随分と冷めた人間だった。
同年代の子供が飛びつくゲームや音楽などにも全く興味を示すことなく。
ある日そんな自分のことが気に食わなかった近所のガキ代将に喧嘩を売られ、返り討ちにしたことがあった。
血まみれになり横たわる子供を見た時、初めて【楽しい】という感情が分かったのを今でも覚えている。
周囲にいた子供らを脅し、大事にはならなかったが噂は一瞬にして広まっていった。
逃げるように両親は自分を連れ引越しをするが、すぐに問題を起こしてしまったので転々としなければならなかった。

中学に上がる直前だったか。
ついに両親から「出て行け」と言われた時は嬉しくてたまらなかったね。
あの目は怒っていたんじゃねぇ、オレに恐怖を感じていた目だ。


両親からは定期的に生活費を振り込まれ金に困ることもなく、中学生になりしばらく自由に暴れていた頃。
夜の街で手招かれるように大人の女とセックスをした。
こんなにも楽しいことがあったのかと驚いたもんだ。
はじめは勝手が分からず相手に任せていたが、コツを掴んでからはコッチのもんだった。
最初は余裕を持ってオレに甘い声で囁いていた女は終いには声を枯らして泣きながら、許して、もう止めて、と。

セックスを覚えてからは暴力の方は落ち着いた、と思う。
冷めた性格が女にウケるのかよく声はかけられる。
しかし、落ち着いた代わりにセックスは加減ができなかった。
こっちは相手のことなんざ全く知らねぇ。オレがヨくなることが優先で無茶苦茶に犯してしまう。だからどいつもこいつも体を交わせるのは一回きりだ。

だから、そんな自分が誰かを好きになることなんて、これから先も一度もないだろうと思っていた。





一人暮らししているマンションに帰りバクラは制服のままソファに埋もれた。
テレビをつけ夕方のニュースを流していると、ふいに今日の朝の出来事を思い出す。
流暢な日本語は頭の良さを伺わせた。
一辺完璧に見えたが、帰り際教壇の段差でぐらつきつんのめっていた所を見ると案外抜けたところもあるんだな、と
教室内でも盛り上がっていた。

キッとつり上がった、周りを信用してないのがありありと分かる瞳が、バクラは忘れられなかった。
(あーいうお高く止まってるヤツを泣かせるのが堪んねぇんだよなぁ)


多分潔癖症だろうな、とバクラはなんとなく思った。
ふとテレビに目をやるといつの間にかニュースは終わりバラエティ番組が流れていた。
もうこんな時間だったかとテレビを消し冷蔵庫の中を覗くが中は飲料ばかりで夕食として食べられそうなものは何もない。
苛立ちながら鞄から財布を取り出し、玄関へと向かって行くバクラだった。



近所のコンビニで適当に明日の朝食もカゴに放り込んでいると、自動ドアの開く音と共に、おお…という男たちの声があがる。
持っていたパンを戻しつられてバクラも男たちの視線が集まる方を見て驚愕した。
(マリク…イシュタール…?)
昼間着ていたジャケットを脱ぎ、真っ白なブラウスと、ジャケットとセットであろう、薄いピンクのスカート姿で
男たちの視線を釘付けにしていたのは、新任教師のマリクだった。

周囲の目など気にすることなく飲料水と食パンを手にとったマリクは素早く会計を済ませコンビニを後にした。
慌ててバクラもカゴをレジへ持っていく。
「お客様、お箸はいくつおつけしま、」
「いらねぇ。早くしろ」
こういう客には慣れているのか、ガンを飛ばすバクラに臆することなく店員は手早くスキャンしていく。
バクラも会計を終わらせ足早にコンビニを出た。



(どっちだ?)
コンビニの駐車場でバクラは辺りを見渡す。
煌々としたコンビニの光はだいぶ先の横断歩道を歩いていたマリクを照らしていた。


「おい」
気がついたらバクラは走り、追いついたマリクに声をかけていた。
振り向きざまに肩より伸びた象牙色の髪がさらりと流れる。
「……何ですか?」

ぞくり。
バクラは背が震え、知らず、口角が持ち上がっていた。
不審者だといわんばかりに睨みつけるその瞳は、昼間見たあの色よりも濃く深く。
ずっとその目を見ていたかったが、変な男だと思われても困るのでとりあえず挨拶することにした。

「コンバンハ、マリク先生。買い物かい?」
「え、君は…」

しまった、という表情で警戒を解いたマリクは僅かに困った顔をした。
「あの……ごめんなさい、まだ誰の名前も覚えられていないの」
「別に、気にしねぇよそんなこと。それよりちょっと話し相手になってくれねぇか?」

そこの公園で、とバクラはマリクが背にしている公園を顎でふいと指す。
でも…と怪訝な顔をするマリク。
「名前も分かんねーこんなガキが相手じゃ物足りねえ?」
「っそんなこと、」
「だったらイイだろ。生徒の話相手になってやんのも立派な仕事のウチの一つだぜ?」

言いつつ、オレは教師とマトモに話なんてしたことねぇけどな、とバクラは笑った。
そんなバクラを見てようやく緊張が解けたのか、マリクもまた、そうね、と微笑んだ。




「で、こんな時間まで仕事だったワケか」
プシュ、と買ったばかりの炭酸飲料を煽るバクラは自分でもこの状況に驚いていた。
まさか気になっていた女とこうも簡単に二人きりになれるとは。
コンビニの袋を漁り別のジュースを渡すと、ありがとう、とマリクもプルタブを引っ張り口をつけた。

「しばらくは家に帰っても仕事して、学校と家の往復だけの生活になるけど」
「ふーん」


ちら、と公園の灯りに照らされたマリクの脚に目をやった。
ベンチに腰掛けたスカートは少し持ち上がり、ストッキングに覆われた滑らかな太もも。
視線を上げていくと、大きすぎないサイズの胸に沿うブラウス。


「バクラ君…はこんな時間にどうしたの?ご両親心配してるでしょう?」


薄づきのルージュは艶めき、男を誘う以外の何物でもなかった。


「子供じゃねぇんだ、別にいいだろ。…それよりも……」

隣に座るマリクへと体を向け手を伸ばし頬に優しく触れる。


「なぁ…疲れてんだろ…?近くにオレの家あるから寄っていかねェ…?」


これまで一度だって自分から誘った女に断られたことはなかった。
自惚れているつもりはないが、一晩過ごそうとする女に聞いてみたところ
『危険なニオイがゾクゾクしてたまらないの』と。誰に尋ねても同じような答えが返ってくる。

だから今回もいつものように、いつもと同じように一人の女を一晩好きにできると思っていた。




───────────パンッ!




「なにを」

目の前が白く弾けたバクラは一瞬何が起こったのか理解できなかった。

「なにをふざけたことを言ってるんだ!!!勘違いもほどほどにしろよッ!!ボクはっ…!!」


声を荒げ立ち上がったマリクに、ようやくバクラは自分が平手打ちされたことに気づく。
その言葉遣いはこの目の前に立つ女性のものとは思えなかった。

「……私は教師であなたは生徒です。弁えなさい。…そして、…その、そういう行為も、ほどほどにしておきなさい」

財布から小銭を取り出しベンチに置くと、荷物を持ってマリクは闇の中へと消えていった。




「いってェ…」
影が見えなくなるまでマリクを呆然と見ていたバクラは、どっかりとベンチに寄りかかり置き去りにされた小銭を手に取った。
「120円……要するにもう話しかけんなってことか」



一人ごちたバクラは、満天の星空を見上げケラケラと笑うのだった。