禁断5
「う、くぅっ…」
身体を縮こまらせて、マリクは手の内に吐精する。
「よくもまぁ毎日毎日人前でイけるよなぁ先生は」
便座に座り荒い呼吸で脱力する教師を見下ろしながらバクラはニヤニヤと笑った。
あれから一週間。
二人は放課後、毎日別棟の男子トイレで会っていた。
バクラの携帯電話の発信履歴を埋め尽くすのは全て同じ人物で。
逆に、マリクの携帯電話の着信履歴を埋め尽くしていたのは「非通知」の三文字だった。
あの日からバクラは就寝前にマリクに電話をかけ、翌日の放課後に会う約束をしていた。
会う、と言えば聞こえはいいが、それはただの脅迫で。
つい先日まで寝付けなかったのが嘘のように、バクラは毎日熟睡出来ていた。
電話越しに聞こえてくるのはいつも悄然とした声だったが、バクラはそれでも楽しくてたまらなかった。
休憩時間に携帯電話を弄っている最中、二人のクラスメイトがバクラの席に近寄ってくる。
「なぁバクラ!」
「あン?」
「その…コイツから聞いたんだけどさ、俺にも女の子紹介してくれよ!」
片割れがもう片方を小突きながらバクラに言った。
「なら声だけかけとくわ」
「え?」
すぐに返ってきた言葉にクラスメイトは素っ頓狂な声を上げる。
「なんだよ、まだ何かあんのか」
「あーいやいや何もない!それじゃバクラ!まじでヨロシク頼むなっ!」
そそくさと去っていったクラスメイトに一つ鼻を鳴らしてバクラは再び画面に視線を戻した。
「マジかよ…お前の言った通りだった!」
「だろ?!バクラの奴ここんとこすげぇ機嫌がいいみたいだからな」
「アイツの紹介なら外れはないだろうし…可愛い女の子か綺麗なお姉さんかっ!くぅ〜楽しみすぎるっ」
「バクラが機嫌いいのは良いことなんだけどさ、マリク先生一体どうしたんだろなー?ちょっと前からぼーっとしてふらふらしててさ」
「知らねーよ、訊いても教えてくんねーんだもん…」
この一週間、マリクは毎日放課後の男子トイレの個室でバクラに自慰を強要されていた。
授業があれば銀髪の生徒が嫌でも視界に入る。夕方には目隠しをし下半身を露わにして痴態をその生徒に見せなければならない。
帰宅しても電話がかかってきて明日の約束を取り付けられる。休日も携帯電話の画面が光らないことだけを祈って過ごした。
今のマリクには安息の時間など一秒たりとも存在していなかった。
「遅かったじゃねえか」
トイレの壁に背を預けていたバクラはマリクに冷たい視線を送る。慌てて走ってきたマリクの額には珠のような汗が浮かび上がっていた。
「ごめんなさい…仕事が残ってて…」
マリクが自分に恐怖しているのはバクラははっきりと分かっていた。目を合わせようとせず、近付けば距離を取ろうとする。
しかし、弱みを握っている自分の言うことには震えながらも必ず従わなければならない。
「今日はオレの気分がいいから許してやるよ。つーか言い訳なんざいいからとっとと入れ」
褐色の腕を掴むとその冷たさに一瞬手放しそうになってしまったが、バクラはそのまま引っ張り個室に押し込んだ。
いつものように二人で入って施錠したところで、バクラは違和感に気付く。
「オイ」
「…っ…」
「なに泣いてんだよ」
俯いていたマリクを見ると、菖蒲色の瞳の端から涙が溢れ頬に幾筋も線を作っていた。
無言で肩を震わせながら泣くマリク。
構わず便座に座らせようとすると、今度はバクラが腕を掴まれる。
「や……だ…」
「は?いいから早く座っていつもみたいにシコれっての」
「もうっこんなの…嫌だっ…なんでっ…」
鼻をすすったマリクは顔を俯かせたままぽつりと呟いた。
「なんでボクがっお前みたいな奴に従わなくちゃいけないんだっ…」
マリクはずっと溜めていた本心を吐露してしまった。
言い終えた瞬間飛んできた黒い影。
咄嗟に腕を構えようとするが既に遅く、鳩尾に重い一撃が入る。
「がはッ!!ぐぅっ…」
殴られた勢いで便座に倒れるようにして座ったマリクはあまりの激痛に歯を食いしばりながらも、攻撃してきた男を睨み上げた。
しかし、
「ひっ」
見下ろしてくるバクラの瞳には光が宿っておらず、それはとても人を見る眼差しではなかった。
まるで、そこらに転がっている紙くずでも見るかのような。
短い悲鳴を上げたマリクは痛む箇所を押さえて慌てて謝罪の言葉を口にする。
「ごっごめ、ごめんなさいっごめんなさい!ごめんなさい!!」
いくら必死に謝ってもバクラの整った顔は眉一つ動くことはなかった。
マリクはこの場から一刻も早く逃れたかった。だが背後はトイレのタンクと壁だけで、望みの出口はバクラの後ろにある。
この狭い個室の中でマリクに逃げ場は存在していなかった。
動悸が激しくなり、冷や汗が脇からじんわり滲み出る。
「あんたそんな風に思ってたんだな。まぁいいぜ、オレは別になんとも思ってねぇから」
「あ、あ、あ」
「ほらよ先生、いつものネクタイだ。自分で結びな」
「あ、や」
「結べ」
ポケットからバクラが取り出したのは学校指定のネクタイ。
差し出されたそれを気付いたらマリクは手に取っていた。
身体の震えは止まらないまま、目が隠れるように自分の頭に巻きつけると、昨日までと同じようにマリクの視界は闇に閉ざされる。
「オレに命令されんのはそんなに嫌だったか?」
一体バクラがどんな表情で喋っているのかが分からず、自分が唾を呑み込む音だけがやけに大きく聞こえた。
ただ、マリクにはこの質問にイエスともノーとも答えられなかった。
どちらで返答したとしても、また強い痛みが襲ってくると思ったからだ。
熱い涙がじんわりと目を覆う生地に染み込んでいくのを感じた。
「…もうやめてやるよ」
「…え」
「ちょうど飽きてきたとこだったしな」
予想していなかった言葉に思わず声が裏返る。
あの耐え難い屈辱から解放される。そう思っただけで安堵の溜め息が洩れた。
まだ秘密を握られているという問題は残っていたが、自慰を強要されることがなくなるだけでもマリクにとって大きな救いだった。
カチャカチャカチャッ
すぐ近くで聞こえた金属の擦れる音。
「なぁセンセ」
「あっ」
囁くような甘い声と共にバクラの指が顎に触れる。
生徒達の会話を何度か耳にしたことがあったが、マリクはバクラが女性にもてる理由がなんとなく分かった気がした。
目付きは鋭く近付くのを躊躇ってしまう雰囲気を醸し出しているが、トーンを落とした嘲笑うかのような声は非常にエロティックで。
男だと分かっているのに、つい先程まで怖気づいていた心臓はドクドクと音を上げる。
「口、開けてくれよ」
「ふあっ」
視界を奪われ感覚が鋭くなっている耳に息を吹きかけられて、堪らずマリクは声を上げる。
これまで自分に精神的にも肉体的にも苦痛を与えてきた男が発しているとは思えない程の優しい声色に、マリクは言われるがまま口を開ける。
「イイ子だなぁ…マリク先生はッ」
「んっ?!ん〜〜ッ!!」
するりと細い指が頬を滑った次の瞬間、口の中に硬いような柔らかいような物体を押し込めまれた。
「歯は立てるなよ」
突然の事に何が起こったのかが分からなかったマリクだが、鼻をつく臭いとバクラの言葉にまさかと思う。
信じたくはなかったが入ってきた直後よりも若干大きくなってきた物に確信を持ってしまう。
「男にさせんのは初めてだが、口の中なんざ女と大して変わんねェな」
「んっんー!!んー!!」
ビクビクと大きくなっていく性器は容赦なくマリクの口内を圧迫していく。
何も見えない中、前に立つバクラの脚を押し返そうとするが、頭を思い切り引き寄せられてしまい膨らんだ先端が喉の奥まで届いてしまう。
「ごぼッおあ、お」
弱い粘膜を刺激され込み上げてくる嘔吐感。
口を塞がれ苦しさに顔が赤く染まり始めるがバクラは腰を動かし出す。
その度に最奥を突かれえずくも、気に留める素振りすら見せない。
「あー…ッ…流石に慣れてるだけあるな、上手いぜ先生?」
「んごっぶっむっんっ」
快感に上擦った声が降ってくる。固く目を瞑って、触れていたスラックスをぎゅっと握った。
皮肉なのか本当にそう思っているのか、バクラは何度も他の男との関係を示唆してきた。
当然ながらバクラの言うような事はマリクは一度として行ったことはなかった。
本来この学校に来るのは姉のイシズの筈だった。
生前、父が贔屓にしてもらっていた人物の頼みで教養のあるイシズに一年間日本に来て教師をして欲しい、と。
エジプトで貿易関係の会社を経営している忙しいイシズだったが父の恩人の頼みならばと快く承諾した。
だが出発まであと何日というところで舞い込んできた大きな仕事。
通常の業務なら信頼の置ける人物に任せておけたのだが、この内容ばかりは彼女にしか対処出来ず、それも数ヶ月から一年スパンのものだった。
悩んだ末イシズは断りの電話を入れた。
しかし先方に、
それは困る、もう紹介してしまったので私の立場がなくなってしまう
と泣きつかれて難渋していたところ、一部始終を聞いていたマリクが買って出たのだ。
イシズほどではなかったがマリクはそれなりの大学に在学中だった。
授業を教えるのは高校だったので、それならば自分にも出来ないことはないんじゃないかと。
姉の助けになりたくて引き受けようとしたマリクだったが、困惑顔で抱き締めてきたイシズに反対されてしまう。
遠い所にあなた一人でなんて行かせられません
姉が自分の事をどれだけ大切に思っているかマリクは十分知っていた。
だからこそ力になりたいと思ったし、少々過保護気味な姉に、自分はもう立派な大人だと分かってもらいたかった。
話し合いの末ようやく納得させることの出来たマリクは残り短い日数で日本語を頭に叩き込んだ。
先方に電話で弟であるマリクが代わりに行くことに了承を得た後、休学届けを出して来日する。
空港で出迎えた父の恩人だという男は顔面蒼白で引きつっており、どう見ても歓迎されているという感じではなかった。
そのまま車に乗せられて空港から移動するも男が喋ったのは最初に顔を合わせた時の一言だけで。
居心地の悪さに勝手に窓を開けると、深呼吸をした男が顔を前に向けたまま話し始めた。
今回外国人の教師を欲しがっている理事長は私が大変お世話になっている方なんだ
頭の上がらない人でね、今更言ってしまったことを撤回できなくて
何をかと言うと、私はイシュタールという良家の「長女」が来てくれると言ってしまったんだ
ついそのことを先日お姉さんから電話をもらった時は忘れていてね
君が忙しいお姉さんの代わりにわざわざ来日してくれたことには本当に感謝している
でも、だからその、
君には女性の振りをして教師をしてもらいたいんだ
今まで黙っていた男が矢継ぎ早に話し始めたことに驚くが、しっかり聞き取れたのは最後の一言だけだった。
それは頭の悪くないマリクでも理解に苦しむ内容で、思わず聞き返す。
やはり再度同じことを聞かされ、頭の中で整理してみるもやはり理解出来なかったし納得なんて出来る筈もなかった。
女装をして教師をやれだって?
必要な物は全て用意すると言われたがそういう問題ではなかった。
沸々と怒りが湧いてきて、丁度赤信号で停車したので車から降りようとドアノブに手をかける。
タクシー拾って空港まで戻って姉の待つエジプトに帰ろう
トランクの荷物…財布だけあればいいか
日本の土産って買って帰ったほうがいいかなあ
体を捻り車内と同じ色合いのドアノブを引っ張ろうとしたところで運転席の男から声がかかる。
お姉さんは知らないだろうが、君のお姉さんの大口の取引先は私の会社と昔から関係のある所なんだよ
どういうことか分かるだろう?
マリクは黙ってドアノブから手を離す。
再び動き出した車。
クソったれ、とマリクは心の中で吐き捨てた。